増山たづ子 すべて写真になる日まで
増山たづ子 すべて写真になる日まで
https://gyazo.com/18e6a942026c2e4862cd00baeed77b5d
国が一度やろうと思ったことは、戦争もダムも必ずやると撮り続けた10万枚。カメラばあちゃんの遺した故郷のアルバム。
1917‐2006。岐阜県徳山村(現・揖斐川町)戸入生まれ。1929年、徳山尋常小学校戸入分校卒業後、岐阜の叔父・川口半平のもと和裁修行に励む。1936年、同じ村の増山徳治郎と結婚。一女一男をもうけるが、夫の徳治郎が1945年、ビルマのインパール作戦で行方不明となる。戦後、義父とともに農業の傍ら民宿を営む。1973年、テープレコーダーで村の録音をはじめる。1985年、離村し岐阜市郊外に転居するが、その後も徳山村跡地に通い撮影を続ける
写真集、増山たづ子 全てが写真になる日までを見る。60歳にしてダムに沈む故郷を残すべく、初めてカメラ(初代ピッカリコニカ)を持って亡くなるまで写真を撮り続けた、増山たづ子氏の写真集を編集したもの。無くなってしまう村を収めた、記録的に価値がある写真なのだけど、記録的な価値を差し引いても素朴で良い写真が多いなぁ。
村がダム推進派と反対派でギスギスする中、当時メディアにも出ていたたづ子氏(カメラばあちゃん、としてよくメディアに出ていたらしい)を快く思わない人もいる中、村民の写真を撮り続け、その写真のほとんどが良い笑顔で写っている。終盤はダムに沈む前に徐々に破壊されていく村の写真が収まっていて、なんとも言えない悲しい気持ちになった。